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2010/04/09

竹島問題と国際司法裁判所-ICJ (竹島領有権問題21)

 1977年2月、時の福田首相が「竹島は一点の疑いもなき日本固有領土」という発言をした時、それがきっかけで、一時日韓関係に緊張があった。その竹島=独島問題について、日本は国際裁判で解決しようというのに対して、韓国はこれに反対しているという。したがって、それを知った多くの日本人が、竹島=独島問題を国際裁判により平和的に解決しよう、という日本の提案を受け入れようとしない韓国は、法的に自信がない証拠ではないか、と単純に思い込み、”竹島は国際法上も日本固有の領土”という思いを一層深くしている側面があるように思う。しかしながら、国際裁判による紛争の解決は、それほど単純ではないようである。北方領土は、現在ロシアが占有しており、日本が領有権を主張して返還を求めているが、日本は積極的に国際裁判により解決しようとはしていない。むしろ、ロシアが積極的で、日本はロシアの提案を拒否し直接交渉で解決しようとしている、といわれている。国際司法裁判所(ICJ)にもいろいろ問題があるようである。「梶村秀樹著作集第1巻 日本人と朝鮮人」(明石書店)から、国際機関の調停問題の部分を抜粋する。
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                 Ⅳ 日本人と朝鮮

 国際法とは何か?

 ところで、日本では一般に「権威ある国際機関の調停」にも応じようとしない韓国の態度は、不可解・横暴としか受け取られていない。「本当に自信があるならば堂々と裁判をうけたら良いではないか」と。だが、果たしてどうなのか?これに対する韓国側のたてまえは、本来「紛争」ですらなく、韓国固有領土なのだからそうする必要はないということである。だがそれだけではない。自信がないというのではなく現存の国際司法機関への根底的な不信が横たわっていると見るべきである。


 端的にいって、現存の世界に大国のご都合に左右されない「確立された権威」ある国際法慣行などというものはない。帝国主義世界分割の時代に形成された古い国際法体系と新興国の国際法変革の構想とが鋭く対立しているのが現実である。日本が国際調停を強調することは、それだけ既存の帝国主義的国際法を絶対化して楯にとろうとすることを意味し、いきおい意外にも韓国側は変革の論理に基礎をおくことになっているという配置を、我々は認識しておく必要がある。

 そもそも国際法の領域には国内法における憲法等のような成文法体系があるわけではない。あるのは、グロチウス以来主に帝国主義国の学者が構築してきた論理の体系と国際司法機関が残した判例だけで、それも比較的安直にほごにされてきた。現在 UNCTAD 等で作られつつある新国際秩序に関する文書等も、国際司法機関を直接拘束するものではない。国際司法機関の最初のものは、第1次大戦後に設けられた常設国際司法裁判所(PCIJ)であるが、それは帝国主義国同士の領土のぶんどりあいを一々戦争で解決するのは大変だからある程度のルールを作ろうというような感じで生まれたものである。第2次大戦後はその任務が現存の国際司法裁判所(ICJ、在ハーグ)にひきつがれたといえよう。こういうものだから当然PCIJ も ICJ も主権国家に対してたいした権威は持っていない。紛争があっても、これを提訴するかしなかは主権国家の自由であり、また紛争の双方国が提訴に合意してはじめて裁判がはじめられることになっている。従来も、一方の国が提訴しようとしても他方が応じなかった例はいくらでもある。また、たとえば判決がくだされ、それが実行されないばあいでも、ICJには何ら強制力はないから、それなりの非難や報復を覚悟すれば、判決に従わなくても自由ということになる。なお、従来もいまも国際司法裁判所の裁判官はそのほとんどが白人であり、それも「先進国」に属する人であった。かくして、従来、PCIJ ICJ が扱ってきたのは、帝国主義国相互間のそれも比較的些細な事件に限られ、アジアでの事件が扱われた例はほんのわずかである。逆に、インドが提訴などせずにゴアを直接接収した行為は、既存の国際法に従うならこれを肯定しうる論拠はどこにもないが、反植民地主義の直接行動として新興国からは広く支持された。

 ところで、もし竹島=独島問題を ICJ に提訴した場合、1905年の日本編入の評価が大きな争点になろうが、歴史的経過よりも実効的占有ということを重視する現在のICJ が、かりに歴史的事実はすべて韓国の主張どおりと認めたとしても、これを帝国主義的侵略と認めるか実効的占有の手続きとして形式的に手落ちがないと判定するかは、客観的にみて微妙である。帝国主義的侵略という概念には今のICJ はあまりなじんでいない。竹島=独島事件とよく似ているといわれるものに、1953年に判決された英・仏間の「マンギエ並びにエクレホ群島事件」というのがある。マンギエ並びにエクレホ群島というのはフランスのノルマンディ半島のすぐ沖合にある岩礁群で古くはノルマン族の支配下にあったが、13世紀の英仏間の条約で、もとのノルマンディ公の所領はすべてフランスに権利が移ることが規定された時、この島の名は明示されなかった。フランス側は当然フランス領と考えつつ、何の行政措置もとらずにいる間に、19世紀にいたり、その漁業的価値を認めたイギリス人が利用しはじめ、イギリスが種々の行政措置を講じてきた。ICJ は、フランスの歴史的正当性の主張よりも、イギリスの詳細な19世紀以来の実効的占有の例証を重視し、フランスがこれに何ら抗議しなかったことを領有権の放棄とみなしてイギリスを勝訴させたのである。もちろん、竹島=独島問題は、問題となる期間の長さや帝国主義侵略途上の事件である点で、この事件とは大きく異なっているが、もし裁判官にこの差異を見分ける感覚がなければ、マンギエ・エクレホのこの判例に従って、朝鮮人が領有権の維持をおこたったことにされてしないかねないのである。

 ICJ が扱った唯一のアジアの事件であるタイと旧カンボジアの間のブレ・ヴィヘル寺院事件は、いわば乱暴なアジア人蔑視の判例といえる。1904年にタイ王国が当時の仏領インドシナと国境確定条約を結んだ時、条約文上は分水嶺のタイ側にあるこの寺院はタイ領となったが、タイ王の委任で付図を作成したフランス軍人が、故意か偶然か、カンボジア領に入れておいたことから、後に紛争が起こった。ICJはタイ王がこの付図の訂正を申し出なかったうえ、後に自らリプリントして配ったりしていることを、タイ側が付図を黙認したものととらえ、カンボジア勝訴の判決をくだした。タイ側にすれば、条約文に正しく記載されているのだから問題ではないし、些細な誤りを別にすれば便利な地図だからというつもりで配布したのかもしれないが、いわば、自ら地図の誤りを訂正する能力もなくぼんやりしている国は罰を受けても当然というのが、ICJ の見解だったのである。条約正文より付図の方を重視した点は、従来の判例のつみかさねを一挙にひっくりかえしたものであった。

 アジア的感覚からみればこういうことはどこかおかしい。この点、一個人の見解であるが、李漢基氏が ICJ の帝国主義的性格を批判しつつ、「アジア地域国際司法裁判所」(ICJA)」というような機関が生まれるなら、韓国も安心して独島問題をここに付託することができようと論じているのは、注目される。韓国・朝鮮側はやみくもに横車を押すことを望んでいるわけではない。韓国政府についていえば、第3世界の側に立ちきれず、一方では欧米的感覚に受け入れられやすい「実効的占有」の形を作ることに専念しているものといえよう。


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